年の終わりに想うこと
2001年12月29日 2001年1月
地元にある、県で一番賑わう神社の人込みの中で年が明けました。
正直、最悪な状態での年明けでした。家庭教師と今のバイトの2つをこなし、忙しさの中で悲しさを紛らわせていました。
1/27 彼と同じ日に私も1つ歳をとりました。私達の年齢の差が縮まらないように、心の距離も縮まらない、ということを実感して悲しくなりました。
2月
ようやく就職活動をはじめました。ただ周りに流されているだけで、何をしていいのかさっぱり分かりませんでした。相変わらず忙しさの中で自分を誤魔化していました。
26日 東京でちょっとだけ彼に逢いました。一緒にご飯を食べました。半年振りに逢った彼は全然変わっていませんでした。でもあの時とは確実に違っているのでした。全然変わらないあの人が、ますます遠い場所にいるように感じました。目の前にいるはずなのに‥
初めてひとりで日本列島を下っていきました。
宮城→東京→愛知→大阪→神戸→宮城
その先々で暖かく迎えてくれるみんなの気持ちが嬉しくて思わず泣いてしまいました。
3月
前にも増してハードスケジュールな日々でした。自分をわざと追い込んでいたようにも思います。相変わらず的外れな就職活動だったように思います。
バイト先の社員の女の子が会社を辞めました。私と同じ歳で、専門を卒業して入社しましたが、1年もしないで辞めていきました。
彼女はいつも「自分の希望の会社に内定は貰っていたけども、学校の事情で先生に説得されて仕方なく入ったけど、入った時点で辞めたかった」といつも言っていました。
人生は誰のものでもない、自分自身のものです。誰かによって人生が変わってしまっても、責任は取ってはくれません。
失礼な話ですが、私は自分で会社を決めよう、と思いました。
この頃からますます忙しさは増していきました。お陰でお肌は若さを失いました。イヤン。
以前この頃の行動を日記に書いて、衝撃を与えたとか与えなかったとか。どっちでしょうか?確か7/31の日記だったと思います。
事実として休む暇はありませんでした。鏡に写った自分は疲れた顔をしていました。自分を追い込んでいました。
4月
だんだんと就職活動のペースがつかめてきました。
どうしてマニュアルと通りじゃダメなのか、何を自分が主張したらいいのか、そして自分がどっちへ歩いていきたいのか、がだんだんと見えてきました。
思いきって志望業界を変えてみました。きっかけは父の一言でした。視点を変えてみることは大事なんだなぁと実感しました。思ってもいなかった世界が少し見えました。
4/23 私がお世話になることになる会社に出逢いました。
5月
週1ペースで東京に通いました。念のため、私の家は宮城にあります。交通費が万単位で飛んでいきました。 空いた時間で考え事をすることが多かったと思います。高いビルを見上げていました。見上げてて階段から落っこちたとか落っこちてないとか。
5/4 このサイトに出逢って日記を付け始めました。「就職」ジャンルにいるくせに、役に立つことは一切書けませんでした。むしろ就職活動が終わってからのことしか書いてないです。
書き始めた頃はまさか今のように日記の枠を越えて仲良くできるとは思ってませんでした。
5/25 同じ日に2社の最終を受けて、どちらからも内定を貰いました。散々悩みましたが、最後は自分で決めました。
でも、心のどこかで彼を頼っている自分がいることに気付いて、自分の愚かさに泣きそうになりました。
6月
手帳をめくっても、前月とは全く違って、きれいなもんです(笑) 一転して暇になりました。
イヤ、暇じゃないです。バイトして学校にも真面目に通ってました。ウソじゃないよ。
ミッシェルガンのライブに行ったり、サクランボ狩りにいったりしてたみたいです。
続く
地元にある、県で一番賑わう神社の人込みの中で年が明けました。
正直、最悪な状態での年明けでした。家庭教師と今のバイトの2つをこなし、忙しさの中で悲しさを紛らわせていました。
1/27 彼と同じ日に私も1つ歳をとりました。私達の年齢の差が縮まらないように、心の距離も縮まらない、ということを実感して悲しくなりました。
2月
ようやく就職活動をはじめました。ただ周りに流されているだけで、何をしていいのかさっぱり分かりませんでした。相変わらず忙しさの中で自分を誤魔化していました。
26日 東京でちょっとだけ彼に逢いました。一緒にご飯を食べました。半年振りに逢った彼は全然変わっていませんでした。でもあの時とは確実に違っているのでした。全然変わらないあの人が、ますます遠い場所にいるように感じました。目の前にいるはずなのに‥
初めてひとりで日本列島を下っていきました。
宮城→東京→愛知→大阪→神戸→宮城
その先々で暖かく迎えてくれるみんなの気持ちが嬉しくて思わず泣いてしまいました。
3月
前にも増してハードスケジュールな日々でした。自分をわざと追い込んでいたようにも思います。相変わらず的外れな就職活動だったように思います。
バイト先の社員の女の子が会社を辞めました。私と同じ歳で、専門を卒業して入社しましたが、1年もしないで辞めていきました。
彼女はいつも「自分の希望の会社に内定は貰っていたけども、学校の事情で先生に説得されて仕方なく入ったけど、入った時点で辞めたかった」といつも言っていました。
人生は誰のものでもない、自分自身のものです。誰かによって人生が変わってしまっても、責任は取ってはくれません。
失礼な話ですが、私は自分で会社を決めよう、と思いました。
この頃からますます忙しさは増していきました。お陰でお肌は若さを失いました。イヤン。
以前この頃の行動を日記に書いて、衝撃を与えたとか与えなかったとか。どっちでしょうか?確か7/31の日記だったと思います。
事実として休む暇はありませんでした。鏡に写った自分は疲れた顔をしていました。自分を追い込んでいました。
4月
だんだんと就職活動のペースがつかめてきました。
どうしてマニュアルと通りじゃダメなのか、何を自分が主張したらいいのか、そして自分がどっちへ歩いていきたいのか、がだんだんと見えてきました。
思いきって志望業界を変えてみました。きっかけは父の一言でした。視点を変えてみることは大事なんだなぁと実感しました。思ってもいなかった世界が少し見えました。
4/23 私がお世話になることになる会社に出逢いました。
5月
週1ペースで東京に通いました。念のため、私の家は宮城にあります。交通費が万単位で飛んでいきました。 空いた時間で考え事をすることが多かったと思います。高いビルを見上げていました。見上げてて階段から落っこちたとか落っこちてないとか。
5/4 このサイトに出逢って日記を付け始めました。「就職」ジャンルにいるくせに、役に立つことは一切書けませんでした。むしろ就職活動が終わってからのことしか書いてないです。
書き始めた頃はまさか今のように日記の枠を越えて仲良くできるとは思ってませんでした。
5/25 同じ日に2社の最終を受けて、どちらからも内定を貰いました。散々悩みましたが、最後は自分で決めました。
でも、心のどこかで彼を頼っている自分がいることに気付いて、自分の愚かさに泣きそうになりました。
6月
手帳をめくっても、前月とは全く違って、きれいなもんです(笑) 一転して暇になりました。
イヤ、暇じゃないです。バイトして学校にも真面目に通ってました。ウソじゃないよ。
ミッシェルガンのライブに行ったり、サクランボ狩りにいったりしてたみたいです。
続く
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