平和への祈り

2001年9月19日
地下鉄サリン事件が起こった後、ミスチルの桜井さんが作った歌詞にはこんな言葉が含まれていました。


 何がおこっても変じゃない
 そんな時代さ 覚悟はできてる

 
 ちょうどあの事件が起きた日、実は私は東京にいて、同じくらいの時間に地下鉄に乗っていました。しかし、運良くわたしは事件には巻き込まれませんでした。
 あの時、テレビを通して私の目に飛び込んできた映像は決して忘れることは出来ません。

 「どうしてこんなひどいことができるんだろう…」


 あれから月日は流れて、先週のN.Yでのテロ事件。
はじめ私が映像を見た時は、それが現実の出来事だとは思えませんでした。ビルに飛行機が突っ込むなんて。それは作り物の世界の中の出来事だと思ったのです。

 しかし、あれは現実。

 あのビルにまっすぐに突っ込んでいった映像の衝撃も大きかったですが、それ以上にショックだったのは、ビルから飛び下りる人や窓に張り付いて助けを求める人たちがいる一方、同じ空の下、遠く離れたところではその事件を喜んでいる人がいた、ということでした。


 人が亡くなったことを喜ぶ人がいる…??
それは私には決して理解できません。このサイトや新聞、テレビなどを通じて、同じように「理解できない」という方がたくさんいるということを知りました。それは私には嬉しいことです、というか、当然の願いだと思ってます、平和を願うということは。

 
 例え背景には宗教的な理由や政治的な理由があったとしても、何の罪もない人々が殺されたということを果たして喜んでいいものなのでしょうか。
しかし、そういう人たちが存在していることもまた現実であって。それをどうやって受け取っていいものなのか私には分かりません。理解ができません。

 
 キレイ事かもしれないれど、戦いなんかしないで欲しい。平和に解決して欲しい。今以上に無意味な犠牲者を増やしてほしくないです。
今のアメリカの戦争を肯定するような考えには心からは賛成できません。
アメリカは絶対的な影響力を持っているからこそ、戦いなんてはじめてほしくないんです。


 「戦いのない平和な世界を目指して」なんてキレイ事かもしれない
 
でも、一人一人がそう願い続けて、それが集まって大きな力を持って、世の中を動かすんだと思うんですよね。
だから、全てのもととなっているものは小さいけど、小さすぎて掻き消されてしまうかも、と思ってしまうけど、それでもやっぱり信じて願いつづけなければいけないんだと思います。
世の中の流れが、戦いを肯定する方向へと流れていかないように祈らずにはいられません。
もう何の罪もない人の命が奪われませんように

 今、私が特に心配している人たちがいます。
それは私がアメリカに短期留学していた時に、同じ学校にいたサウジアラビア出身の友達です。
彼らはサウジから英語を勉強しにやってきていました。

 私達の英語が日本語なまりだったり、中国語が母国語のみんなの英語が中国語なまりだったりするのと同じで、彼らの英語もまた独特でした。
ちょっと発音が聞きにくいんですよ。何を話しているのか理解できない事が何度もありました。
でもみんな一生懸命勉強していたし、たった一ヶ月しかいなかった私に話し掛けてきれてお友達になりました。
そんな彼らですが、見た目はやっぱりアラブ系なので、今無事に過ごしているかどうかが心配でたまりません。 どうか、無事でありますように。
彼らはとっても優しくて、私にとって大事な思い出を共有している人たちなので。


 
 最後になりましたが、不運にもN.Yでの事件に巻き込まれた方の御冥福をお祈りしています。



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